なぜ、塾を開くに至ったか。福島が面白くなかった。
お久しぶりです。塾長の橋本です。1ヵ月以上更新を怠ってしまいました。なんともなんとも、面倒だなと感じてしまうものですね。
今回は、『私がなぜ塾を開こうと思ったのか』『そもそもなんで福島に帰ろうと思ったのか』
にフォーカスしていこうと思っています。端的に言えば、福島が詰まんなかったんです。大人がつまらなかった。福島に、子供が戻りたいと思えるようなところがなかった。子供にとってこの会社楽しいなと思える会社が無かった。
どういった会社がいいのかも、大学から先をしっかりと教えてもらえるところもなかった。
だから、私がやるしかないと思ったんです。
前置きで全部語ってしまいそうですね。各章に移動していきましょう。
目次
- ○ 私にとって福島とは
- ・福島の良いところ
- ・福島の悪いところ
- ○ 大学で得た衝撃と、衝撃を受けなかった衝撃
- ・衝撃を受けなかった衝撃。全員普通の人たちだった
- ○ 世界は広く、福島も広い。だから、福島に帰ってきた。
- ・面白い面白くない関係なく、学生と関係を作ること
- ○ まとめ
私にとって福島とは
高校まで、私は福島県の郡山市で過ごした。
高校は安積高校。親は医者。年に2~3回は県外への旅行へ行っていたし、特にお金で親が制約をかけたこともなかった。
多分福島県内で、いや、全国でも有数の『良い暮らし』をしていたはずだ。
この『良い暮らし』に関して語るべきことは尽きないが、今回は本筋から離れるのでおいておく。
大事なことは、福島県から離れる機会が非常に多かったということだ。
そのため福島県について客観視をすることが多少可能であったという前提で話していく。
福島県は
なんの面白味もなく
住んでいる人も平々凡々としている
日本における普通の一地方都市でしかない。
つまり、特筆すべき魅力なんて何一つないのである。
福島の良いところ
前段を読んで一部の福島シンパは酷く憤慨されたかもしれないが、ひとまず私の話を聞いてほしい。
私は特筆すべき魅力が何一つないと書いただけであり、
魅力がないとは言っていない。
そう、福島は魅力自体はいっぱいあるのだ。
平々凡々(私も含む)な住人は交流するには非常に居心地がよく、
気候は東北の風情を保ちつつも基本的に穏やかで、
交通の便もいうほど悪くない。
ただ、特筆すべき魅力は何もない。
ここでいう特筆すべき魅力とは、『また戻ってきたい!』『ここに移住したい!』と人々の心に喚起させるものだ。
阿武隈鍾乳洞?大内宿?鶴ヶ城?ハワイアンズ?
そんなもの代替品で世の中溢れているし、上記の特筆すべき魅力に当てはまらない。
そんなことはない。ハワイアンズなんてまた行きたいと思う場所の筆頭じゃないかという人もいるかもしれない。
もしそうおっしゃるならハワイアンズに365日住んでみたらよろしい。私は間違いなく部屋から出ることすら億劫になるだろう。
ハワイアンズは、移住者を増やすような特筆すべき魅力に当てはまらないのだ。
では福島には何がある。
平凡な日常が、穏やかに、健やかに流れている。
変化というべき変化が起こらない、ここ4~50年は変わっていないのであろう日常が、過ぎているだけだ。
これこそ変わらぬ魅力であろう。
福島の悪いところ
福島の悪いところは、上記のすべてだ。
特筆すべき魅力もなければ、日々変化するような生活もない。
変化が激しい生活もないわけではないのであろうが、ほとんどが福島という都市を円滑に進めるための必要不可欠なパーツとしての仕事を得てしまっている。
福島県民に働きかけ、福島県民からお金を頂いているような仕事である。
こういった仕事は、安定はしているが緩やかな衰退とともに存在する。人口減少とはそういうものだ。
福島でも一部の都市を除いて人口は急激な減少を続けており、30年もすれば田舎町はほとんどがなくなってしまうであろう。
きっと市や町としての形は存在するが、そこに滞在する意味が、「生まれ故郷だから」の一文に集約されてしまうようになる。
悲しいことに福島はそんな状況である。
学生にとって実感はわかないかと思うだろうが、仕事もなくなる、人もなくなる。そんな街に帰ってこようとする大人はいない。
そんな時に必要なのは「全力で全国に対して営業を仕掛けていくんだ」「世界に対して行動していこう」と、地場を離れて営業戦略を立てられる企業である。
そういった企業として、活力ある大人のいる町。それこそが特筆すべき魅力を作るために必要不可欠な条件である。
しかしそんな企業は、福島にはなかった。
少なくとも、学生時代の私は知らなかった。
大学で得た衝撃と、衝撃を受けなかった衝撃
大学に入って、私は本格的に福島を離れた。
正確に言えば私は一年浪人を挟んでいるので、高校を卒業してから福島を離れた。
東京大学に入って私が感じたのは、希望だったのであろう。
一年の退屈な浪人生活と勉強から解放された解放感を今でも忘れないし、浪人生活を過ごした予備校の寮の管理人のおじいちゃんに笑顔で見送られたことも忘れない。
まぁ私は問題児だったのでおじいちゃん的には違う意味の笑顔だったかもしれないが。
大学に入ることが目標だった私にとって、大学生活は彩りに満ちていたし、楽しみに満ちていたように見えた。
衝撃だったのが、話のレベルの高さだった。
いまだに恋愛感情を化学結合エネルギーで例えた奴(鹿野ちゃんという。未だに仲がいいと思っている。いいよね?)が出た飲み会を覚えているし、医学部だった奴が、「最近記憶力が衰えてきててさ。昔は本は一回読んだら覚えられたのに、最近は三回読まないと覚えられないんだよね」と言っていたことを覚えている。
定期テストを「授業受けてれば前日3時間勉強すれば余裕じゃん。」と言っていたやつもいた。
私は話が飛ぶことで有名で、高校時代はアスペと言われていた。そんな自分の話を全て理解して、そのうえで「論理が飛躍しているように感じるからその言い方だと常人は分からん」と言ってくれた奴もいた。
こういった頭がいい奴のことは、今でも感動とともに思い出す。
化け物どもである。
衝撃を受けなかった衝撃。全員普通の人たちだった
一方で非常に衝撃を受けなかった衝撃がある。
みんな、普通の人なのだ。
当たり前のことを当たり前にして、当たり前に楽しんでいる一方で、当たり前のことをせずに、堕落して遊び惚ける奴もいる。
東大生だろうが何だろうが、普通の大学生だった。そして、その普通の大学生が、普通に起業したり、普通に大企業に就職していった。
みんなしっかりと調べ、情報を得て、就職していったのだ。
その調べること、当たり前のことを当たり前に行うことは、衝撃を与えない。
だから、その当たり前のことを当たり前に行うことは、軽視されてしまう。
適当に会社を作りたいなと考え、会社の立ち上げを経験したいと思ってスタートアップに就職しようと思っていたくせに、ろくに就職の
ことを調べもしなかった私とは大違いだった。
そういう点で行くと、私みたいな中途半端物はあまりいなかったように思う。
当たり前のことを当たり前にやる。そういった衝撃を与えない凄さに、最近私は衝撃を受けた。
そして当たり前のことを当たり前に行うだけで、非常に速い速度ですべてが進行する。
本当に驚くのは、こっちだった。
大学時代の友達は、当たり前の「勉強」を常に行っていたのだ。毎日勉強していたのだ。様々な世の事柄について。研究について。
あの当時、一緒に馬鹿ばかりしていたと思っていた友達は、今では様々な分野で活躍を始めている。
そう、馬鹿しながら、一方でしっかりと勉強していたのだ。
一方で真の意味で馬鹿ばかりしていた自分は停滞をしていたことを知った。
大学時代に衝撃を受けなかった衝撃が、いまさらのように自分を悩ませる。
世界は広く、福島も広い。だから、福島に帰ってきた。
私は大学で、特に就活で打ちのめされたと思う。
厳密にいえば、就活において他の学生と比べて行ってきたことの薄っぺらさに辟易した。
勉強を怠った自分のことを凡人で、適当で、やることもやらない屑だとすら思った。
でも実際にはそんなこともないだろうし、就活においてもある程度の調べとある程度の努力を払ったのかもしれない。
しかし、東大に入った人のアベレージよりは下だったし、十全に社会に出るためには不十分だったと私は言おう。
そしてこんな思いを、会社に入ってから感じるのは不条理だと感じた。
なぜなら後戻りできる最終チャンスを逃しているからだ。会社に入ったら、もう一度考え直すには非常に勇気がいる。
新卒というカードは切ってしまっている。世間では社会人となり、学生の頃のような甘えは許されない。
ましてや日々の生活が続く。自分で稼がなければ生きていけない。辞めてもっといい生活が出来る保証などどこにもない。
学生のうちだけである。後戻りが非常に容易なのは。親もいれば奨学金だってあり、留年することで一年先延ばしにすることも容易い。
このあまりに非情で、あまりに当たり前なことを知るには、学生にとって就活は遠すぎる。
というより、大学になって唐突に考えろと言われるのだ。それも教育ではなく、実地でいきなり。学校とは勉強を教える場である。一方で、勉強しか教えない場でしかない。
就職や経済といった問題に対して、一切教えないといっても過言ではない。
この就職に関しての学習状況は、由々しき事態である。
後進には私のようなぼんくらになってほしくない。二の轍を踏んでほしくない。
だが色んな企業が集合し、様々な学生に対する取り組みを行っている都会に比べ、福島は地方都市である。
世界の広さに比べれば日本は狭く、いわんや福島は更に小さい。しかし、小さくとも福島は住んでる身としては大きい。
東京は遥か彼方であり、仙台もおいそれと行ける場ではない。
福島単体では先進的な企業が少ない。ましてや、学生にアプローチするなんて非合理的なことをする企業なぞ稀である。
その結果、地方の学生は就職についてろくに知らず、就活というものを軽視していく。
ともすれば、大学で何をすればいいのかもわからずに大学に行く。
そう、学生にとって大学とは、勉強における甲子園みたいなものなのだ。
殆どの学生は現在行っている勉強の集大成としての大学合格があり、大学に合格してハイ終了。
大学に受かってからのことを何一つ考えていないのだ。
将来大学から就職することが抜け落ちている。そしてその就職において大学が非常に重要であることが。
当たり前だ。1歳上の先輩を恐れているくらいの時間間隔なのに、3~4年先のことなどどうやって考えられようか。
この将来への意識を福島で醸成するためには、福島で学生と触れ合う必要があると思った。
高校生に、中学生に、小学生に。
だから、塾なのである。学校ではだめだ。生々しいお金の話は、あの場には相応しくないのだろう。
これが、私が塾を開くきっかけである。
面白い面白くない関係なく、学生と関係を作ること
塾で大事なことは、学生と関係を築くことだ。
塾は、学生にとって身近な存在である。大学に行くにしても、行かないにしても、クラスの何人かが行っているものだ。
そんな身近な場所を運営するものが、私のように変な人だったら、面白いんじゃないかと思った。
そうして学生が私を面白がってから、色んなことを伝えればいいのであろう。私が企業を調べて、学生に伝えればいいのであろう。
私が学生と、企業との接点となれば良い。今後は色々な企業と架け橋となるような、存在になれば良い。
私はいろんなことを経験しているが、大体がダメダメな経験だ。
学生はいろんな成功例を聞くことが多いが、失敗談を聞くことは少ない。
失敗談を笑いながら教える奴がいても、良いだろう。笑って、失敗する人間が、一番楽しいと私は思う。
そんな変なことを色々教えてくれる存在として、今後私が福島にいれば、福島でも楽しい存在となれるんじゃないかと思った。
福島を、面白い場所にしようと思ったのだ。
つまらないと感じたあの時の自分を、否定するために。
つまらなかったのは、自分が知らなかっただけだとするために。
まとめ
変な文章となってしまいました。
こういった独白調の文章は好きですが、好きすぎるがあまりに文章のとりとめもなく思考を披露する場になりかねないですね。
論理だてて書きたいけれども論理が破綻しかけていくのを必死に抑えることが大変でした。
ま、またそのうちまとめましょ。
ではまた次回お会いしましょー
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