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難易度【★★★★★】ローマの建築技術【英語長文読解練習3】

 

どうも福長塾塾長の橋本です

3回目になりました英語長文読解練習。基本的に土曜日か日曜日の12:00に更新するので、興味あれば是非見てってくださいな。

前回、前々回はリンクから是非どうぞ

難易度【★★★☆☆】海洋プラスチック汚染問題【英語長文読解練習2】

【難易度★★★★☆】人工知能に人権を【英語長文読解練習1】

 

今回はローマの建築技術について。

前提として、ローマが巨大帝国を築いた要因として、その高い建築技術が挙げられています。現代にもコロッセオや上下水道の跡が残っており、また日本人も大好きな銭湯があったなど、その技術は凄まじいものでした。

ローマ周辺国にとって、この建築技術は脅威です。どれだけ険しい山の上に築城したとしても、建築技術をもって橋を架けられ、道を作られ、防御が意味をなさないのだから。

 

そんなローマについて、ではどのような建築があったのか、記事の一部を抜粋してお届けします。

ポイントは

・固有名詞をどう見抜くか
・わからない単語をどう類推していくか

です。

 

ではやっていこう。

目次

英文

If Rome Wasn't Built in a Day, How Long Did It Take?

Imperial Rome is the period many people imagine when they picture the ancient civilization. It began in the year 31 B.C. when Octavian defeated the rebelling Mark Antony and Cleopatra of Egypt in battle. The victory sealed control over much of the ancient world. Afterward, Octavian took the name Augustus and became the first Roman Emperor.

Augustus’ most trusted advisor was Marcus Agrippa, a famed Roman general, politician and builder. Agrippa gets much of the credit for his friend’s victories, and Augustus rewarded the general by putting him in charge of a number of public building projects at home.

Agrippa was pivotal in constructing Rome’s aqueducts, expanding its network of home water pipes and sewers, building public baths and planting lavish gardens. His works could be found across the city. The change was so great that Augustus claimed his general had transformed Rome from a city of brick to a city of marble.

But that building didn’t stop after Augustus’ death because the long series of emperors that followed weren’t content to hold their borders. Using the wealth of their existing empire, Rome continued conquering neighboring civilizations across the centuries until the city controlled much of Northern Africa, the Middle East and Europe.

And all that expansion abroad required construction on an unprecedented scale. Defending victories required massive fortifications. In Great Britain, for example, Roman builders constructed Hadrian's Wall and the Antonine Wall to keep out the conquered Picts. And even conquered cities far from the capital saw enormous building projects.

Starting around 90 A.D., Roman builders began constructing a series of tunnels and bridges in present-day Jordan and Syria that carried water through the desert for perhaps more than 100 miles.
The so-called Gadara Aqueduct tapped a swamp to supply water to a network of 10 oasis cities in the desert dubbed the Decapolis. Construction spanned over roughly a century. Then, in Tunisia in the second century A.D., one of the largest aqueducts ever built supplied Carthage with water from some 80 miles away.

Meanwhile, in Rome itself, building projects also grew to levels previously unseen. Around the year 80 A.D. the Colosseum was completed in Rome’s city center, providing a place for some 60,000 spectators to witness gladiator battles, theatrical reenactments and more. It was arguably the most grandiose and famous building Rome would ever construct. (400語)

【注釈】
Picts:ピクト人

全文和訳

もし"ローマは一日にして成らず"であるならば,どれほどの時間がかかったのか.

ローマ帝国は、多くの人が古代文明を描く際にイメージする時代である。紀元前31年に始まり、オクタビアンが反逆者であるマークアントニーとエジプトのクレオパトラを戦争で打ち破ったことで興った。この勝利は古代世界における支配の大部分を決定付け、後にオクタビアンはアウグストゥスを名乗り、初代ローマ皇帝となった。

アウグストゥスが一番信頼していたのは、相談役であるマーカスアグリッパである。アグリッパは名高きローマの将軍であり、政治家であり、建築家であった。アグリッパはかれの友人の勝利における大きな信頼を勝ち取った。そしてアウグストゥスは褒美としてアグリッパを家にいながら多くの公共建築建築の担当者としたのだ。

アグリッパはローマの水道網を建設する主要人物だった。家の上下水道網を拡大させ、公共浴場を建設し、贅沢な園庭を作った。彼の作品は町のいたるところで見つけることが出来た。変化はアウグストゥスに"かの将軍はローマをレンガの町から大理石の都市へと変貌させた"と感嘆せしめるほどに素晴らしいものだった。

しかし、後に続いた多くの皇帝たちは国境の維持に努めるのみにとどまろうとはしなかったため、建築はアウグストゥスの死後も継続していった。今の帝国が持つ富を使って、ローマは近隣諸国を何世紀もの間侵略し続け、最終的に北アフリカの殆どと中東、そしてヨーロッパを手中に収めた。

そしてそれらの海外への領土拡大のすべては前代未聞なスケールの建築を必要とした。勝利を守ることは巨大規模の防御建築を要求したのだ。例として、イギリス帝国においてローマ人はハドリアンの壁とアントニンの壁を建設し、ピクト人からの侵略を防いだ。そしてたとえ首都から遠く離れた侵略都市であっても、膨大な数の建築プロジェクトが見れた。

西暦90年ごろから、ローマ人の建築家たちは現代のヨルダンやシリアに残る、推定100マイル以上にもなる砂漠を通り水を輸送する橋やトンネルの建設にとりかかった。ガダラ水路と言われるこの水路は沼を開発し、砂漠にあるデカポリスと呼ばれた10のオアシス都市ネットワークに水を供給した。建設期間はおおよそ1世紀以上だった。そののち、2世紀ごろにはチュニジアにて80マイル離れた場所からカルタゴへと水を供給する最大級の水路の1つを建設した。

話変わってローマにおいても前代未聞のレベルにまで建設計画が発展していた。西暦80年頃、ローマ市の中心にコロッセウムが完成し、およそ60,000人もの観客が収容でき、観客は剣闘士の戦いや演劇の再現映像などを鑑賞することが出来た。それは間違いなくローマが建設した最も仰々しく有名な建物であろう。

まとめ

英単語が非常に難解だったかなと思います。

文法面では過去形の事実の列挙にとどまり、難しいところはそこまでなかった...と信じたい。

なんだろう、この難解な英単語を多く出してくる感じは上智や慶応義塾大学などの上位私立大学の文系入試なんかに出てきそうですね。

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